2011年12月08日

癡は畜生

  癡は畜生
   大塩ダム 富岡


  「あなた、次の‘癡は畜生‘を教えて」


  「畜生でも人間の心を癒したり、盲導犬のように人を助けたりして菩薩界の
   働きをする時もあるのに、人間として生を受けながら正邪善悪の判断がつかず
   動物より残酷で愚かな行為をする時があるね。

   畜生と同じに本能のままに行動してしまう境涯のことを
   畜生界と仏法では呼んでいるわけね。
   日常的に言えば、目先の利害にとらわれて理性の働かない畜生と同じ愚かさ
   もそうだし、自分本位で自分中心の生き方をする人の境涯のことだね」


  「地獄界、餓鬼界、畜生界の三つは苦悩を作る境涯なのよね。
   一日の内でわずかな時間だけならいいけど、ズートじゃ困まっちゃうわね」


  「いやー そう言う人は多いよ。
   他人のことを顧みることが出来ないと、結局は自分を
   破滅させて苦しむことになるんだね」


  「しかり自分を磨いていかないとね」


同じカテゴリー(仏の教え)の記事画像
絶対的幸福が最終目的
今年も頑張ろう
苦しい時こそ感謝の心を
楽しんで苦しみに向かっていける
世間では信仰をどう見ているか
慈悲の心になろう
同じカテゴリー(仏の教え)の記事
 絶対的幸福が最終目的 (2017-01-15 11:50)
 今年も頑張ろう (2017-01-02 11:01)
 苦しい時こそ感謝の心を (2016-12-20 08:01)
 楽しんで苦しみに向かっていける (2016-12-14 15:26)
 世間では信仰をどう見ているか (2016-12-10 15:25)
 慈悲の心になろう (2016-12-02 11:30)

Posted by きんちゃん at 19:23│Comments(0)仏の教え
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
癡は畜生
    コメント(0)