2011年12月08日
癡は畜生
大塩ダム 富岡
「あなた、次の‘癡は畜生‘を教えて」
「畜生でも人間の心を癒したり、盲導犬のように人を助けたりして菩薩界の
働きをする時もあるのに、人間として生を受けながら正邪善悪の判断がつかず
動物より残酷で愚かな行為をする時があるね。
畜生と同じに本能のままに行動してしまう境涯のことを
畜生界と仏法では呼んでいるわけね。
日常的に言えば、目先の利害にとらわれて理性の働かない畜生と同じ愚かさ
もそうだし、自分本位で自分中心の生き方をする人の境涯のことだね」
「地獄界、餓鬼界、畜生界の三つは苦悩を作る境涯なのよね。
一日の内でわずかな時間だけならいいけど、ズートじゃ困まっちゃうわね」
「いやー そう言う人は多いよ。
他人のことを顧みることが出来ないと、結局は自分を
破滅させて苦しむことになるんだね」
「しかり自分を磨いていかないとね」
Posted by きんちゃん at 19:23│Comments(0)
│仏の教え